私は23歳から福岡の放送局のリポーターをしていました。
その仕事を得るためには、厳しいテストを受けなければなりませんでした。
とても華やかな仕事ですので、テストを受ける人も多く、募集項目には「容姿端麗」ということもありました。
最初のテストは筆記テストで、私はアメリカから戻ってきたばかりだったので、のんきにテストを受けに行ったのですが、他の人たちはテストのギリギリ前まで、参考書を読んだりして勉強していました。
私はもしそのテストに落ちても、またアメリカに戻って大学で勉強するつもりでしたので、それほど期待していませんでした。
でも、1次テストに合格して、2次テストに進みました。
マイクテストや面接などがあり、2次テストにも合格して、3次テストにも合格して、最終的に5人が選ばれることになっていました。
私はその5人の中に入っていました。そして、合格してから研修が始まり、リポーターとして物事を生放送で的確に伝える方法を学びました。
それで、日本でしばらくリポーターとして仕事をしていたのですが、その後、またアメリカに戻ることになりました。
そして、2001年の911同時多発テロが起こり、その時に真っ先に日本に当時のニューヨークの様子をリポートすることができました。
そして、イチロー選手が大リーグに移籍した後のことのリポートをしたり、松井選手がニューヨークヤンキースで活躍しているところをリポートしたりしていました。
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ニューヨークで生放送
私は国際的なリポートをすることになったのです。
そして、毎年、ニューヨークのロックフェラーセンターの巨大なクリスマスツリーのリポートをすることになりました。
毎年11月下旬になるとロックフェラーセンターのクリスマスツリーのそばから生放送をすることが恒例になりました。
私の場合は全て生放送なので、言い間違いなどができず、臨機応変に対応することが必要でした。
リポーターの仕事はそれほど好きではありませんでしたが、母が私の放送を楽しみにしていたので、親孝行のためにと思ってやっていました。
生放送は言ってしまったらそれで終わりなので、緊張感があり、やりがいはありました。
ニューヨークの様子を日本に伝えることはとても面白かったです。
日本では知られないニューヨークのことを伝えることに楽しみを覚えましたし、ニューヨークの人々の声を生で届けることができたので、とても臨場感があって、聞いている人たちも楽しんでくれたような気がします。
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